02.07
奴隷海岸の負の世界遺産 ケープコースト城 (ガーナ共和国)
西アフリカのガーナ共和国に残る城塞、ケープ・コースト城 Cape Coast Castle を訪れました。
ここはイギリス植民政府の中心地であり、特に奴隷貿易の積出港となった負の遺産。列強の覇権の舞台に立ったとき、教科書でしか知らなかった歴史の光と影が交差します。
Cape Coast Castle
【住所】 Victoria Road, Cape Coast, GHANA
ガーナ共和国 ケープコースト市ビクトリア通り
【営業時間】 午前9時~午後5時
情報も観光客も少ない西アフリカ諸国ですが、ガーナの公用語は英語なので比較的旅行しやすい方に入ります。現地ではビザがまったく取れない国なので、旅行の前に予め ガーナビザ を取得しておく必要あり。
行き方
首都 アクラ Accra から西に150kmにある ケープコースト Cape Coast の町まで車で約3時間。
大型バスも出ていますがアクラマーケット前で次に出るミニバスに乗るのが早くて簡単です。詳しい行き方は ガーナ旅行記 のページも参考にしてください。
まずはケープコーストの丘の上にある砦、フォート・ウィリアム Fort William から見た城塞。
海に面する赤い屋根の白い建物がケープコースト城です。
坂が多いものの徒歩で回れる規模の町。
歩いて入口までやって来ました。
正面に小さなユネスコ世界遺産のロゴがありました。
ここは1979年に「ガーナのベナン湾沿いの城塞群(ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群)」の一つとして文化遺産に登録されており、近年は政府や国外からの援助で積極的に保護されているようです。
入場料
2015年現在の入場料は 40セディ(1,294円)でした。毎年凄い勢いで値上げされているようです。
英語ガイドも常駐しているので有料で解説をお願いすることも可能。写真は自由に撮って良いと言われましたが、原則としてカメラの持込みも有料とのことです。
地図
場内のレイアウトと名称は以下の通り。
情報の少ない見どころなので 拡大図 もアップしておきます。
歴史博物館 Building History
テラスに出てすぐ右手に資料館があります。
中の撮影はできませんがさすがユネスコ世界遺産、一通り情報がまとめられているので自分で見てまわる方は最初に見学しておくと良さそうです。
かつて金が主要な交易品であったこの地は 黄金海岸 Gold Coast と呼ばれ、15世紀にポルトガルが貿易拠点を設置。その後オランダやスウェーデンへと所有者が変わっていきます。この場所に最初の建物ができたのは1653年、スウェーデン・アフリカ会社のために Hendrik Carloff によって建てられたものです。
ギニア湾に面して居並ぶ大砲。奴隷貿易から生み出される莫大な利益と権利を巡って激しい攻防が繰り広げられたことが窺い知れます。
所有権は1663年にデンマークに奪われ、翌1664年にはイギリス人に支配されます。
18世紀に七年戦争でイギリスがフランスに勝つと建物は本格的に拡張されることに。城内を一回りして感じたのは部屋数の多さで、やはり一時収容施設として使うためでしょうか。
帰らずの扉 Door of No Return
テラスの先にある外に通じる扉は Door of No Return、帰らずの扉。
くぐった者は二度と帰って来ることは無かったそうです。
地下牢 Male Slave Dungeon
見どころであり、同時にもっとも気分が沈むのがこの地下牢。
ちょうど白人の観光客が入っていくところですが、彼らはここで何を感じるのでしょうか。
内地で集められた黒人奴隷は船が着くまでの間、時には1500人がこの地下に閉じ込められたのだとか。
ここから送り出された奴隷は1000万人とも2000万人とも言われており、その人的な損失が現在まで続くアフリカ貧困の遠因になっているのはご存知の通りです。出発を待たずにここで亡くなった人も数知れず、最深部に設けられた祭壇が胸を刺します。
アメリカ合衆国オバマ大統領が2009年に家族でここを訪れています。
ミシェル・オバマ夫人は黒人奴隷の子孫であると明言しており、当地で演説も行なったそう。
城塞内は階段や細い通路が巡っており、自由に見学することができました。
一回りするだけでも1時間あまり。とにかく暑く、また静けさも印象に強く残っています。
ケープコースト城は18世紀以降も英領ゴールドコーストの行政府として、そして奴隷貿易の中心地としてイギリスの拠点であり続けます。
建物内部の様子。
いくつかの部屋にはかつて何に使われていたのかプレートが出ていますが中は荒れ放題といった感じ。現地の人にとっては宗主国の事務所を今さら再現する理由も無いでしょう。
窓から望む黄金海岸、もとい奴隷海岸。
ガーナは1957年にイギリスから独立を果たし、サハラ以南で初めてアフリカ人が中心となって独立を叶えた国でもあります。
波打ち際で遊ぶ子ども達、その手前で黙々と漁具の手入れをする漁師。
あまりに長閑なケープコーストの景色を前に複雑な気持ちを抱きながらも、僕はもっと世界のことを知りたいと思うのです。
周辺情報
城塞内、西側のテラスはお土産物屋さんが集まっていました。
さすがガーナでも一二を争う観光名所ですね。ただし日中はとにかく暑いので日陰で静かにしている人がほとんどでした。
お城の西側のビーチに建っているのは The Castle というレストラン。
ロンプラにも載っているお店で、この後お食事に行ってみました。その他の見どころなどケープコースト観光については ガーナ旅行記 のページにもまとめます。
人類の過ちの爪痕、いわゆる負の遺産と呼ばれる場所を積極的には訪れないのですが、ここ奴隷海岸の歴史を理解するには避けて通ることはできないと思い足を延ばしてみました。今では観光名所として明るい雰囲気に包まれていますが、訪れるなら歴史に一通り目を通しておくと一層理解が深まると思います。
コメント
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こんにちは。いつもTwitterの方にコメントさせていただいております。
とても感慨深く、色々考えさせられました。
滅多に行けない場所、貴重な内容を記事として見ることができ大変ありがたく思っています。
また、歴史等、このような事を考える機会を提供してくださりありがとうございます。
Satoshiさん、こんばんは。
いつも楽しいツイートありがとうございます。
いわゆる負の遺産は訪れるのも記事にするのも畏れ多く、めったに無いことですが今回はブログに掲載してみました。こうして史実の現場に立って歴史を振り返ってみると、21世紀に生きる日本人として来し方行く末を見つめ直す機会にもなるので、今後も自分のために少しずつ勉強していこうと思っています。
拙いブログの、しかもこちらの記事にコメントをお寄せいただいたことを感謝申し上げます。