02.04

カラコルム博物館(モンゴル・ハラホリン)
モンゴルの歴史やカラコルム遺跡の埋蔵品を日本語で展示しており、ぜひ立寄りたい見どころの一つ。目玉はカラコルムが首都だった時代の町の復元模型です。ここではKitagawaがピックアップしたいくつかのお宝を紹介したいと思います。
Kharakhorum Museum
【住所】 モンゴル国 ハラホリン
【営業時間】
10月~2月:
月~金:午前9時~午後5時
土・日:午前9時~午後4時
3月~9月:
月~日:午前9時~午後6時
【入館料】 10,000 Tg(2025年)
【TEL】 +976 7032 7808
【URL】 kkm.moc.gov.mn/
カラコルムはかつてモンゴル帝国の首都だった場所。
3日以上の日程のモンゴルツアーなら組み込まれていることが多いのではないでしょうか。ウランバートルからは所要6時間で、日帰りは厳しいので周辺のホテルやツーリストキャンプに泊まることになります。
僕らはツアー2日目の朝にウランバートルを出発し、途中で ミニゴビ砂漠でのラクダ乗り体験 を楽しんでから、夕方にここカラコルム博物館を訪れました。夜はムンフスーリ・ゲルキャンプに泊まり、翌日エルデニ・ゾーを見学してから オルホン渓谷に向かいました。
入場券
フロアマップ
展示室はコンパクトです。
講堂でビデオ上映があって、まずはそれを視聴しました。
満等窯
ホールの床がガラス張りになっていて、窯の模型が見られます。
2000年にドイツとの共同発掘調査で4基の楕円形の窯が見つかり、その復元です。13~14世紀初頭のものと考えられており、窯ではレンガだけでなく粘土細工も焼かれたのだとか。
カラコルムのダイオラマ
フロアの中央は巨大なダイオラマが設置されており、かつてのカラコルムを想像したものです。
チンギス・ハーンが当地を首都に定めたのは1220年で、その15年後の1235年から息子のウゲデイ・ハーンによって都市建設が開始されました。この模型はモンケ・ハーン時代(1251~1259)を想定して作られています。
面積は160ヘクタール、人口は1万~1万5千人。とても国際性の高い都市だったことが記録に残っており、十数の仏教寺院のほかにモスクや教会もあるので探してみてください。下の写真で左側がイスラム教徒の商業地区、右の中心部は中国からやってきた契丹人の職人地区、下が遊牧民のゲル地域です。ちなみにエルデニ・ゾーが建てられるのはこの300年後ですよ、念のため。
モンゴルの地図
地図は紀元前から時代を追って展示されていましたが、あまり古くてもイメージしにくいと思うので契丹時代のものを一枚。ローマはビザンツ帝国、つまり東ローマ帝国、中国が宋 Song の時代にあたります。
チンギス・カン
歴代の大ハーンも一通り簡単に解説されていました。
左は前述の通りカラコルムを首都に定めたチンギス・ハーン、右が街造りを行なったウゲデイ・ハーンです。
ショロン・バンバガル墓
近年の研究成果として、2011年に発見されたショローンブンバガル Shoroon Bumbagar 墓が紹介されていました。7世紀の突厥に関連する墳墓で、全長42m、石室の深さは地表から7m。
モンゴル初の壁画が見つかったものの、調査と同時に急速に劣化が始まったそうです。ちょうど日本の高松塚古墳も同じ時代ですが、ご存じの通り高松塚も壁画の劣化が止まらず、保存と修復が大きな課題になっていますね。大学で取ってる学芸員課程で博物館資料保存論をやってるので、つい色んなことが気になってしまいます…このショロンバンバガル古墳の壁画については奈良文化財研究所がブログで触れているので、リンクを貼っておきます。
www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2019/05/20190515.html
ブログで言及されている兵馬俑、粘土のお人形さんがこの子たち。
墳墓の中から約90体の塑像が見つかっており、当時の遊牧民の服装を見てとれます。粘土なので線に温かみがあり、鮮やかな彩色と表情が結構かわいいですね~
シャル・ブルデの石人
こちらはシャル・ブルデ Shar Bürd で見つかった石像で、突厥時代(6~8世紀)に入っています。
石人の多くは、左手に剣、右手にグラスを持っており、これも当時の遊牧民の姿を模していると考えられているようです。グラスの中はきっと馬乳酒だったんじゃないかな?というのは僕の想像です。
ペルシア語碑文
さらに時代が下って、1341年の石碑。エルデニ・ゾー寺院の敷地で見つかったもので、カラコルムの町や寺院のために寄付を行なった人とイスラム教の神への感謝がアラビア文字で刻まれています。このペルシャ語の内容は日本の研究者が日本語訳しているので、興味があれば『ヒジュラ暦742年カラコルムのペルシア語碑文』で論文を検索してみてください。裏側には後年に書き加えられたサンスクリット語、チベット語、モンゴル語がみられ、マントラの Om、Mani、Padme、Hum を意味しています。
パイザ(複製)
最後に目についた収蔵品はこれかな、昔のパスポートであったパイザ。
フビライ・ハーンの時代のもののレプリカです。
5行の文字の意味は以下の通り。
かのマルコ・ポーロも同じものを持って帰国したそうです。
永遠なる天の力と王(ハーン)の勅命による
敬意を表さないものは罪となる
日本の援助で建てられたカラコルム博物館
このカラコルム博物館、実は日本のODAによって建築されており、2011年の開館です。
だからという訳ではないと思いますが、訪れたときは日本人ツアー客であふれかえっていました(笑
www.jica.go.jp/oda/project/0868290/index.html
カラコルムは歴史的に重要な場所ですが、なにぶんモンゴル帝国の繁栄を感じさせるものは現在に何も残っていないので、当地にこのような歴史に触れられる場所ができたことは意義深いのではないでしょうか。日本語の解説がついた展示も多くて見学しやすい博物館でした。ぜひエルデニ・ゾーと合わせて訪れてみてください。
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