10.10

シャーヒズィンダ廟群(ウズベキスタン・サマルカンド)
ウズベキスタンきっての観光地サマルカンドにて、精緻な青タイルで飾られた霊廟が建ち並ぶ シャーヒ・ズィンダ廟群 Shah-i-Zinda complex を見学しました~せっかくなので服もハーパンも靴のロゴまでサマルカンドブルーに色を合わせています!レギスタン広場と並んでサマルカンド旧市街で必見の見どころです。
Shah-i-Zinda monument complex
【住所】 Shahizinda Road, Samarkand, UZBEKISTAN
【入場料】 50,000スム(597円)
アフラシャブの丘の南斜面に建つ壮麗な霊廟群、シャーヒズィンダ。ペルシャ語で「生ける王(の墓)」を意味し、預言者ムハンマドの従兄弟クサム・イブン・アッバースがここに埋葬されているという言い伝えに由来します。重要な観光名所なのでサマルカンド観光の2日目にじっくり時間をかけて歩いてみました。営業時間は季節によって変わるようですが、早ければ朝7時オープンです。
狭い通路の両側に建物がぎっしり建ち並んでいます。主要な霊廟は11ほど。最初の建物は11~12世紀にかけて、大部分は14~15世紀の建築です。中には埋葬者が不明のものもありますが、アミール・ティムール(1336~1405年)との関係を追いながら見学するとよいでしょう。
死者の通りを歩けば中世にタイムスリップ
さまざまな青で彩られたイーワーンがほぼ一直線に並ぶ“死者の通り”は、写真で見るより何倍も美しい。旅人が憧れるサマルカンドブルーに浸れます!霊廟はそれぞれ装飾や内装が異なっているため見ごたえがあり、タイルが欠けていたり建物そのものが少し傾いていたりするところにも本物っぽさというか歴史を感じました。
走り回っている子どもも見かけましたが…ここは霊廟なので静かに観光したいものです。この旅行記では、特に重要な「クサム・イブン・アッバース廟」と印象に残った「シャーディムルク・アカ廟」の2つを取り上げます。
クサム・イブン・アッバース廟
Qusam Ibn Abbas mausoleum
まずはシャーヒズィンダ廟群において中心的な存在のクサムイブンアッバース廟。ムハンマドの従兄弟クサム・イブン・アッバースの墓とされており、11世紀以降15世紀にかけて霊廟の周りにモスクが建てられて複合施設になっています。
上の写真のようなアーケード(第三のチャルタック Uchinchi Chortoq)内、右手に以下のような入り口がありました。
タイルのお花と文字がかわいらしいですね!
大学の第四外国語としてアラビア語を学びましたが…さすがにカリグラフィーを読むのは難しい。
でもよく見ると「キサム・ブン・アルアッバース」と発音できる文字を確認できました。bの点が見当たらなかったりしますが、ピンクの部分が「クサム・イブン・アッバース」の名で間違いないでしょう。(アルは定冠詞です)
لقشم بن العباس
重厚な木の扉も必見。チンギス・ハーンの攻撃を免れており、1404~1405年の製作です。
この扉の左右にもアラビア語が書かれていました。
こちらは研究者による文字起こしを以下に引用しますが、僕が日本語訳を行なってみたのでご紹介します。アラビア語は右から読み、文章の後半部分が上の写真のカリグラフィーに、前半は反対側の扉に書かれています。
أبواب الجنة مفتوحة على الفقراء و الرحمة نازلة على الرحماء
天国の門は貧しい者に開かれ(てい)る。
(神の)慈悲は慈悲深い者に降り注ぐ。
中に入ると通路や小部屋が連なっており、それぞれがモスクやその付帯施設であったようです。しかし、度重なる工事によって当初の建物の構造は明らかではなく、ほぼ観光客の通路として機能していました。
現在残る主な施設はクサムイブンアッバースモスクで、15世紀築。
そして、最深部に控える葬儀用のモスク。
クーポラは八角形で、トルコブルーで彩られたムカルナスが四隅に。多くの観光客だけでなく巡礼者も出入りしていました。壁側に設置されていたイスに座って、しばらくこちらで時間を過ごしました。
クサムのお墓は木窓の奥にカバーをかけて安置されています。
近づくことはできませんが、クサムのものとされる青い五段組みの墓石は文献やガイドブックをあたれば写真を見られると思います。
シャーディムルク・アカ廟
Shadi Mulk Aga mausoleum
もう一つご紹介するのは、シャーディムルクアカ廟。
シャーヒズィンダ廟群の階段を登って左側2つ目で、1372年築。建築はイーワーンで、入り口天井部はエッジが立っていて端麗です。シャーヒズィンダの中でも特に凝ったムカルナスだと思います。
この廟はティムールの妹であるトゥルカン・オゴ Turkan Ogo が、前年に亡くなった娘ショディムルク・オゴ Shodi Mulk Ogo を偲んで建てたもの。中に入って見上げるとクーポラにもタイルで装飾が施されており、散りばめられた六芒星が今にも降ってきそう。腰壁の部分や壁の円形装飾の周りにも三角形と六角形が組み合わさって、僕の目には六芒星が浮かんで見えました。
まるでリボンの模様のような帯も実はアラビア語。娘を失ったことを嘆く詩が刻まれています。さらに円形のタイルにも感動的な詩がびっしり書かれており、正確な訳は進んでいないようですが「天使になる」や「シルクになる」など言葉選びにセンスを感じる内容です。
廟内に置かれているのは石棺ではなく埋葬位置を示す墓石。
手前がティムールの姪にあたるショディムルク・オゴ、奥には建造者のトゥルカン・オゴ自身も1383年に埋葬されています。
扉は近年付け加えられたものですが、細かな手彫りの模様が見られました。
ところで「地球の歩き方」というガイドブックではシャーディムルクアカ廟を「ティムールの愛した妃の廟」と解説しているのだとか。確かにティムールの妻もここに埋葬された記録があるものの、歴史上とりわけ注目されるような人物でもなく、いったいどんな文献を参照したら姪のために建てられた墓を妃のものと誤って解釈するのでしょうか。ちなみに同書の最新刊はほぼ全てのページに間違いがあって、とうとう 回収・廃版 となったようです。
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