タンザニアからモザンビークへ陸路で国境越え (長文)

2012年以前, タンザニア, モザンビーク Add comments

タンザニアからモザンビーク 陸路 国境

今後少しずつ過去の旅の記録も振り返っていこうと思います。アフリカからの第一弾として、秘蔵のモザンビーク旅行記をアップします。そのルートとは、タンザニアから陸路でモザンビークに入国し内戦の傷跡深いモザンビークを縦断するという、筋金入りのバックパッカーでも選ばないようなトンデモコース。全5回で掲載予定の第1回目は「モザンビーク旅行記(入国編)」です。

ところで最近のブログ読者様の中には、Kitagawaのことを「いつも運転手付きの車やビジネスクラスで移動しているいけ好かない奴」と思っておられる方もいるのではないでしょうか?(笑
決して苦労していないわけではなく、地べたを這うような旅行も人並み以上にしており、過去には川を泳いで密入国したりスパイを疑われて軍隊に拘束されたりと散々やらかしております。そんな僕の旅の中でも割と印象深いモザンビークの旅行記を、記憶を辿りながら書いていきたいと思います。なお、本稿は不定期連載となりますことご了承ください。

プロローグ

時は2001年8月。南アフリカ共和国に向けて、一人アフリカ大陸を南下していました。東アフリカは英語が広く通じ、道路や交通網も整備されているため、世界でも割と旅行しやすいエリアに入ります。東南アジアの途上国を旅するのとそれほど変わらないレベルで移動ができると考えてもらって結構です。時代としては、既に携帯電話は普及していたもののスマホはまだなく、海外でのインターネット接続はネットカフェの利用が一般的でした。

さて、タンザニア連合共和国から南を目指す場合、ザンビア共和国からジンバブエ共和国を通り、南アフリカ共和国に行く内陸ルートがメジャーです。というのも、ジンバブエとザンビアの国境には世界三大瀑布の一つに数えられる世界遺産「ビクトリアフォールズ」の滝もあって、定番中の定番のコースになっているのです。

ところが若きKitagawa、既にこのルートを通ったことがあるためツマラナイ!とわがままを言い出し、海に沿ってモザンビーク共和国を縦断するコースを思いつきます。だって、世界地図を見るとあたかも縦断道があるように書いてあるんですから!まさかこの時は、橋は朽ち果てバスすら走っていない滅茶苦茶な国だなんて予想出来なかったのです。

ちなみに2001年と言えば、モザンビーク内戦が終わってからまだ9年。治安は安定していたものの、国内のインフラは壊滅しており、しかも東アフリカにあってここだけポルトガル語というお国柄です。およそ観光客が寄り付くようなところではなく、実際にバックパッカーにすら出会わない苦難の道中となるのです…

行けるかどうか分かんないなら、行ってみなけりゃ分からない。

タンザニアからモザンビークへの陸路による国境越えは、2001年当時のガイドブック「旅行人ノート アフリカ」や「ロンリープラネット」では抜けられるという記述があるものの、そもそも両誌の無茶ぶりは昔から有名でして、実際に通過したという旅行者に会うまでは信用できないのですが、とうとう見つけることができず。

この記事を書くにあたって改めて検索した2014年現在も、インターネット上でヒットする日本語の旅行記はわずか3件!(畏れ多くも、全世界を旅行された和人&あづさご夫妻やタビフーフさんのサイトです。)
直近では2011年に「地球の歩き方」の掲示板でこの国境が話題になるものの、誰からも明確な回答がつかなかったほど。そのくらいマイナーなルートなので、僕の旅の記録が皆さんの役に立つ可能性は限りなく低いです。まぁ「こんな旅行もあるんだ!」という読み物としてお楽しみいただければと思います。

結果を先に書いておきますと、乾季ならビザさえあれば国境は抜けられました。また、非常に時間がかかりましたが無事にモザンビークを縦断することもできました。ただし滅茶苦茶ハードです…どのくらいハードなのかは、これからの旅行記に書いていきます。

なお、このページの情報は2001年当時の情報に基づいており、地名や金額も当時のままとしております。
間違ってもこんな面倒なコースを取ろうという旅行者はいないと思いますが、この国境を抜けようという酔狂な方は最新の情報を現地で収集のうえでお出かけください。国境に係官がいない、移動手段がない、言葉が通じない…と、どうにもならないことの連続ですが、一番困ったのは情報が無いことでした。なぜ情報が無いかって?今ならそれが分かります。だって、わざわざこんな辺鄙な国境を苦労して通る意味なんてないからですよ!(笑

ダルエスサラームからムトワラまでの行き方

まずはタンザニア連合共和国の ダル・エス・サラーム Dar es Salaam から、タンザニア南端の町 ムトワラ Mtwara を目指します。
方角は南に一直線、距離にして約560km。陸路で行けば良さそうなものですが、ダルエスサラームから南には観光名所どころか大きな町すら無いという状態。しかも未だに道が舗装されていません。


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調べてみると、週に1本ダルエスサラームからムトワラに向かう船があるとのこと。なるほど、確かに外洋に出てインド洋を南下すれば比較的簡単に行けそうです。さっそくチケットを買いに行ったところ、ダルエスサラーム発ムトワラ行きの船は毎週水曜日の出発で、所要26時間。どういうわけか外国人には1等の席しか売ってくれませんでしたが、運賃20 USDと税金5 USDにてあっさり買うことができました。

ちなみにウブンゴ・バスターミナルからバスも出ていましたが、道が悪いうえに車の故障が多く所要時間や到着時刻は不明とのこと。ここ数年で乗った方の旅行記でも悪路の中17時間かかったというような記述が見つけられます。
なお2014年現在、ムトワラまではPrecision Airの国内線が就航しています。

タンザニア連合共和国

当時のダルエスサラームはタンザニアの首都であり、今でも同国最大の都市となっています。そのダル・エス・サラームの沖合いに浮かぶ「ザンジバル島」はKitagawaおすすめの観光名所。古くからインド洋交易で栄えた島であり、アラブの情緒を色濃く残すその旧市街「ストーンタウン」はユネスコ世界遺産にも指定されています。

他にもアフリカ最高峰「キリマンジャロ」に登頂したり、野生の動物が生息する「セレンゲティ国立公園」ではサファリを楽しんだりとタンザニアは見どころ多い国ですが、長くなりますのでいずれ改めてご紹介します。

ダルエスサラームからムトワラまでの船

2001年8月22日、水曜日。船のボーディングタイムは朝の6~7時です。
アフリカというところは朝がとても早く、特に長距離の交通手段はたいてい日の出とともに出発します。朝が弱いKitagawa、がんばって早起きするもののタクシーがつかまらず、結局歩いて港まで向かいました。当然のようにインフォメーションなんてありませんから、人に尋ねて回ってようやくそれらしい船を見つけました。そうこうしているうちに空も白み始めます。

ダルエスサラームからムトワラ 船

あまり大きい船ではありませんが、今日に限って沈むことも無いでしょう。
見物もそこそこに、さっそく乗船します。

船内の様子

船は4層になっていて、一番下に1等のキャビンがありました。キャビンと言っても学校の教室くらいの広さのスペースに横長のベンチが並べられているだけです。幸い自由席のようなので、ベンチ1本分の座席とテーブルを確保します。
見たところエアコンも付いていますし、一角には売店も営業しているので、一晩過ごすのに困ることは無さそうです。ただし窓が無いので外の状況が分からず、また機械油の匂いが少しするのが気になりました。お手洗いは上階にあり、水洗になっていました。

ムトワラ ダルエスサラーム 船

2等はどうなっているか見に行ったところ、屋根上のベンチでした。かろうじてトタンの屋根が付いているものの日中は死ぬほど暑くて夜は死ぬほど寒く、そのうえ座るところが見当たらないほど人であふれています。なるほど、これでは外国人にチケットを売ってくれないわけです。

出航!

船は朝8時にダルエスサラームを出航。外洋を航行するため、予想以上の揺れに見舞われます。
酔い止めを飲んでいてもまったく効かないレベルで、船内にいる時は横になっていないと吐いてしまいそうです。スタッフが全員に何度もエチケット袋を配っていた理由が分かってきました。

タンザニア 船 ダルエスサラーム ムトワラ

朝が早かったせいか、横になっていたらいつのまにか眠っていたようです。
甲板に出てみると既に陽は高く、どうやらお昼を回っている模様。売店でサモサとチャイを買い、風に当たりながら昼食としました。タンザニアのチャイって、お砂糖を何杯も入れるからものすごく甘いんですよね。1杯100タンザニアシリング、約15円です。

ポレポレなアフリカの旅

ときどき無人島が見えるくらいで、すれ違う船すらありません。
横波を受けるため船は左右に大きく揺れるものの、サブーンサブーンという音も耳に心地よくなってきました。でも、景色を見ていてもあまり進んでいるようには見えません。ちょっと計算してみたら、なんと時速20kmにも満たないことが分かって笑ってしまいました。ここでもまた、ポレポレですね。

アフリカ旅行記 タンザニア モザンビーク

午後6時16分、日没です。
幸い揺れも収まったので、船内に戻って夕食にします。売店で買ったのは山盛りライスにマトンを乗せたもの、紙のお皿に盛って渡してくれます。フォークとナイフは自前で用意しました。というのも、アフリカでは皆さん手で食べるんですよ。汁物まで素手で食べるその器用さには呆れてしまいます。

船内は暑くもなく寒くもなく、ベンチとはいえ夜は割とよく眠れました。
朝もう一度甲板に出てみると、見渡す限りの海!周囲360度すべて水平線です。空には日本の夏を思わせる入道雲。船の少し先をクジラが一頭泳いでいて、潮を吹く姿がとても印象的でした。

アフリカvsイギリス

船の中での印象的な出来事を一つ。
そろそろ寝ようと思っていた頃、船内のテレビでは映画が始まりました。画面を見ると、どうやら英国軍とアフリカ原住民が戦っているようで、銃と盾を構えた白人に槍と棍棒を振り上げた黒人が突っ込んでいきます。こんな映画を上映しても大丈夫なの?と心配していたら、乗客の皆さん目を輝かせて釘付けです。しかも小さなテレビに向かって拳を振り上げての大声援には驚いてしまいました。その映画が終わるまで、まったく眠れなかったのは言うまでもありません。ちなみにこの船、黒人率100%で、観光客は僕一人だけでした。

ムトワラから国境まで

船は朝9時、タンザニア南端の町 ムトワラ Mtwara に到着しました。
ところが、何もありません。船が着いたコンクリートの岸があるだけで、冗談抜きに辺りに何も無いのです!

そうか、まずはこのパターンで来ましたか。(笑
こういう場合、そのうち誰かが声をかけてくれるんだけど…と思いながら立ち尽くしていると、水玉のシャツを着た目つきの鋭い男が声をかけてきます。どう見てもチンピラにしか見えないのですが、「モザンビークに行きたい」と伝えたら「ビークル!」と言って歩き始めます。言葉は通じないしなんかヤバそうだなぁ、良い子は知らない人に付いて行っちゃダメなんだよ…と逡巡するものの、行くあてもないので彼を追いかけることに。これがね、歩く歩く…周りに何もない灼熱の道をどこまでも歩き続けます。

TOYOTAのピックアップトラックに乗せられて

ようやく集落に着いて、この車に乗って行けと言われました。一体どこから来てどこに向かう車なんでしょう?
でも今改めて思えば、この場所に来る外国人なんてみんなモザンビークに行くしか道はないので、地元の人にとっては慣れたことだったのかも知れませんね。彼の言ったビークルという言葉、今ようやく英語の vehicle だったと気づきました。

ムトワラ パルマ ナモト 国境

トヨタのロゴを手書きしたこの車、村から港へと走り回っては小麦粉の袋を積んだりタイヤのチューブを降ろしたりしています。村には自転車くらいしか走っておらず、まるで一帯の物資輸送を引き受けているかのよう。
午後11時、ようやく国境に向かうようです。穴だらけの未舗装の道を行くので、揺れる揺れるめちゃくちゃ揺れる。ドライバーが気を利かせて途中から助手席に乗せてくれたのですが、それでも天井に頭をぶつけるほど揺れます。日差しも強く、窓から出している手もじりじりと焼けていくのが分かるほど。森の間に集落が現れて、人を乗せたり降ろしたりしながら車は走り続けます。

お約束の、エンスト!

これで国境に着ければ良いのですが、そうはいきません。突然車の床からもうもうと煙が上がり、エンストです。もうね、漫画の一コマとしか思えない光景です。
火を噴いている車をスパナ1本でどう直そうというのか分かりませんが、見ていたらボンネットの中から適当な配線を千切ってきてヒューズボックスに突っ込んで修理が終わってしまいました。手にしたスパナ、意味なくね?

ムトワラ MTWARA

2時間かけて、ようやく国境に到着しました。
ハンコを持った役人を探し回って、何とかパスポートにスタンプをもらい、無事タンザニアを出国です。さて、これからどうしようか?と途方に暮れていたところ、TOYOTAがそのまま国境手前まで連れて行ってくれることに。なんという親切、感謝の気持ちでいっぱいです。水玉シャツの強面の彼にお礼を言えなかったのが心残りです。

ロヴマ川・ルヴマ川

ただし車で川岸まではたどり着けず、最後はでこぼこ道をひたすら歩き続けます。まったく日陰が無いので立ち止まる訳にもいきません。ここは幸いにも輪タクがいて川岸まで乗せてもらいましたが、歩くとなんと2時間ほどかかるそうです!

こちらが、タンザニアとモザンビークの間に流れる ルヴマ川 Ruvuma Riverです。モザンビーク側ではポルトガル語で ロヴマ川 Rio Rovumaと呼ばれ、この川が両国の国境を刻んでいます。

ロヴマ川 国境越え

イメージしていたほど大きく見えないのは、乾季で水かさが少ないせいでしょうか。ただし雨季に来ようものなら未舗装の道は沼地と化してこの国境に到達することも難しくなります。写真では川の色が青く見えますが、実際の川面は土で濁って黄色に近い色だったことを今でもはっきり覚えています。

手漕ぎの木舟でロヴマ川を渡る

僕の姿を見つけるや否や、人が一気に集まってきて僕のバッグの奪い合いが始まりました。
あまりに疲れ果てており、バッグの行方は任せてコーラを1本を買って休憩です。あるんですよね、こんなところに来てもコカコーラが!写真を撮ったりして遊んでいたら、どうやら一人が僕のバッグを勝ち取ったようです。アフリカではこんなことが何度もありました。荷物を最後まで抱え込んだ人がそのお客を乗せられるという暗黙のルールがあるようなんです。(笑

モザンビーク タンザニア 陸路

木の小舟に乗って、対岸を目指します。
ロヴマ川の渡し舟は 5,000シリングまたは10万メティカシュ。たった750円とはいえ現地の物価からすると随分高額です。この金額は現地の人でもまけてもらえないそうですが、有り金全部の 4,250シリングで勘弁していただきました。舟は手漕ぎでなかなか進まず、対岸に着くまでに要した時間は30分。コーラを我慢すれば 5,000シリングちゃんと払えたのに…と少し悪いことをした気分になってしまいました。

アフリカ旅行記 モザンビーク タンザニア

モザンビーク入国

川を渡りきると、ピックアップトラックが待ち構えています。こんな辺境に来ても、かろうじてこういう足は確保されているもので、ほっと一安心。聞いたところモザンビーク北端の町 モシンボア・ダ・プライア Mocimboa da Praia まで行くそうです。というか、行ってくれなきゃ困るんですが。(笑

タンザニア モザンビーク 陸路

料金は 15万メティカシュか 7,500シリング。現地通貨の持ち合わせが無かったものの 10米ドルでもOKでした。
こういった運賃ってアジアだと運転手と交渉して決めるケースがよくありますが、意外にもアフリカでは相場が決まっているものです。外国人だからといってボラれることもなく、こと料金に関しては不愉快な思いをすることは少なく。その反面、外国人だからということで特別扱いもされないので、体力勝負になるのですが…

途中で、ちゃんとイミグレにも寄ってくれました。マイナーな国境ですが、通り抜ける旅行者がまったくいないという訳でもないようです。
イミグレの建物はなんと周りの民家と同じで、土の壁にわらぶきの屋根でビックリです。入国税 5USDを払い、モザンビークの入国スタンプをいただきました。左ページがモザンビークのVISA、右ページ右上の丸いスタンプが川を渡って入国した印です。なお、タンザニアとモザンビークの間には1時間の時差がありますので、時計の針を1時間戻します。

モザンビーク ビザ

この先はとんでもない道で、ブッシュの中を走ります。道の両側は背の高い草に覆われてまったく周りは見えません。下り坂はガソリンを節約しているのか、エンジンを切ってジェットコースターよろしく滑り降ります。車一台の車幅がギリギリというこの道で、もし対向車が来たらどうするのでしょう?荷台に乗せられた乗客は右に左にグワングワン揺れながら、頭の上をかすめていく木の枝も巧みにかわさなければなりません。一瞬の気を抜く余裕もなく、すごい迫力。まさしくインディージョーンズの世界!どんなテーマパークのアトラクションよりも刺激的なドライブで、いまだに忘れられません。

パルマからモシンボアダプライア

悪路はモザンビーク北端の村 パルマ Palma まで続きました。
村の中心と思しきT字路で何人か下車し、ここで30分ほど休憩です。

モザンビーク パルマ

時刻は既に午後5時。どうやら日没までには着けそうにありませんが、だからと言ってこの村に泊まるのも厳しそう。引続きモシンボアダプライアを目指します。この後も未舗装の道が続きますが、ここからは道幅が広くなって随分と楽になりました。ただし乗っているのは荷台です。揺れはなくなりましたが、日没とともに風との戦いに変わり、乗っている誰もが一言も口をききません。とうとう陽が沈み星が出て月まで昇って来てしまいました…

時間の感覚も失いかけたころ、ドライバーから声をかけられます。どうやらモシンボア・ダ・プライアに着いたようで、親切にも英語が通じる宿の前で停めてくれました。時計を見ると午後6時半。すごく時間がかかったように思えたのですが、パルマから1時間半で到着したようです。
所要36時間、大変な道中でしたが思っていたよりスムーズに国境を越えられました。現地通貨すら持っていないのに、この夜は物々交換でビールを手に入れてきてお部屋で祝杯です。


大きな地図で見る

アフリカ大陸で一歩観光ルートを外れると、こんな感じの旅行になっちゃうんですよね。それがまた魅力だったりするので、旅が止められないのです。
当時の記録を見ると「昔のカンボジアに比べたらモザンビークなんて楽なもの。マシンガンで武装した賊が出たり、橋に空いた穴から車ごと川にダイブしないだけマシ」なんていうすごい感想が残っていました。(笑

つづく

これから、何が何でもマプトまで南下しなくてはなりません。その距離は実に 2,700km!
なんと北海道の北の端から鹿児島の南の端までの距離に相当します。
この話は「モザンビーク旅行記(前編)モシンボアダプライア」へと続きます。

“タンザニアからモザンビークへ陸路で国境越え (長文)”へのコメントが 6件あります

  1. 東人 Says:

    年末の「LCCだけでアジアぶらり旅」も結構大変でしたが、私の苦労とは次元が5つくらい違います。
    こうゆう旅があるから、ビジネスクラスやラグジュアリーホテルg楽しめますね。

    そういえば、自分の30年前の欧州&モロッコのバックパック旅行も、こんな感じでした。
    さすがにあれはもうできません(苦笑)

  2. kitagawa Says:

    こんにちは。東人さんもかつてバックパック担いでおられたんですか!それは初耳です。
    もしかして、モロッコからシルクロード越えでしょうか?今じゃ叶わない憧れのルートだったりします。

    今回旅行記を書くにあたって直近の情報を収集してみたのですが、やはり10年1昔、すっかり様子が変わっているようです。もちろん、地元に人たちにとっては素晴らしいことだと思います。
    かつて訪れた地を改めて旅したいと思いつつ、期間が開いてしまうと昔ののんびりとした情景は思い出に留めておくのがよいのかな…なんて思ったり。
    今年は僕も、格安航空券を利用して後進国へのスポット旅行を何発かできればと思っています。

  3. 東人 Says:

    いやいや、スペインからモロッコまでフェリーで渡りました。シケで船が出ず、途方にくれてる初対面の男子学生3名とモロッコを旅しました。スペイン領モロッコからて国境越えて、タンジェからマラケシュまで鉄道。そこから、ボロいレンタカーでアトラス山脈越えて、砂漠の手前のオアシスの町まで。なぜか自分達が着いたら、年に数回しか降らない雨に恵まれ、地元民から喜ばれましたね。間抜けなエピソード満載の卒業旅行でした。
    大西洋岸の町、アガディールまで一緒に行動して、自分は空路ロンドンへ。ロンドンでもいろいろしでかしましたが、なんとか帰国しました。
    もうあんな事できません(^^

  4. kitagawa Says:

    ぉー、凄い!まさかモロッコ縦断とは思いませんでした。
    船に鉄道に車、旅の魅力が全部詰まったような行程ですね。時代背景を考えると、僕のモザンビーク旅行よりハードなんじゃないでしょうか?やっぱり何年たっても旅の思い出って色褪せませんよね。

    いつか僕も船でモロッコへ…と思って、スペインはアンダルシア地方を残してあったりするんですが…そのいつかがいつやってくるのか。(笑
    近年ヘタレ具合が増しているので、昔の旅の記録を掘り起こしたり東人さんのお話を聞いたりすると、また悪い虫が騒いで行き当たりばったりの旅に出てみたくなってしまいます。

    僕が本当に良くないのは、我慢が出来ないという性分で…
    という訳で、今週はバンコクから直行便の飛んでいる未訪問国で後進国をピックアップします。(苦笑

  5. 東人 Says:

    自分の友人が、なんとルアンダで起業しました。カラダ弱そうなんで、ちょっと心配ですが、いまのところ元気みたいです。
    ルアンダは、今はアフリカで一番治安が良い国と言われ、ゴリラ・ウオッチングのツアーが人気らしいです。

  6. kitagawa Says:

    マウンテンゴリラを見に行くトレッキングは人気が高いようで、昔からルワンダのハイライトと聞いています。確か人数制限もあって、世界でもなかなかレア度の高いネイチャーツアーなので、ご友人がいらっしゃるなら行かない手はないと思うのですが…

    以前ルワンダ(とブルンジ)を目指したことがあるのですが、手前のウガンダで警察にカメラを没収されてケニアまで引き返したのが心残りなエリアです。(当時は公共のエリアでの撮影が厳しかった。)
    日本からのツアーじゃなければ、ドーハ経由でウガンダに飛んで、ビザ取って陸路で南下って感じでしょうか。この2か国はいつかリベンジしたいと思っています。

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